「高野山」から真田幸村ゆかりの地「九度山」までの、『高野山町石道』を歩いてきました

《トレッキングの内容》

今回は高野山をスタート地点とし、九度山までをつなぐ「高野山町石道」を一気に降るトレッキングになります。

この道は高野山と熊野本宮大社をつなぐ、熊野古道・小辺路(こへち)へとつながる道になります。

「町石道」の意味は、九度山から高野山への道標として1町(約109m)ごとに石柱が立っていて、それを町石と呼び、その高野山までの道を高野山町石道と言います。

九度山・慈尊院から高野山・檀上伽藍の大塔までに180基、大塔から奥之院御廟までに36基、合計216基の町石があります。

また36町(一里)ごとに里石が置かれ、高野山詣での目印になっています。

現代の距離に言い換えると、南海・九度山駅から高野山・奥の院までは約26km、歩数にして約4万歩の歩数になりました。

《高野山の紹介》

高野山は標高約900mの平坦地にあり、周囲を1000m級の山々に囲まれています。

約1200年前に嵯峨天皇から空海(弘法大師)に下腸されたこの一帯を、空海が修行の場として開き日本仏教の聖地になりました。

高野山真言宗総本山が金剛峯寺であり、その山号(仏教の寺院に付ける称号)が高野山になっています。

以前は女人禁制の山でしたが、今では世界遺産にも登録され、日本屈指のパワースポットになっています。

《九度山の紹介》

関ヶ原の戦いで徳川家康に敗れた真田幸村・昌幸親子が、蟄居を命じられたのがこの場所です。

高野山へと続く「町石道」の入口になります。

真田親子の屋敷跡は今では善名称院というお寺になり、地元の人には「真田庵」と言われています。

九度山駅から真田庵までの道には「六文銭」の旗が立ち並び、大河ドラマの影響か多くの人で賑わっていました。

《高野山エリア》

初日は南海高野線・極楽橋駅からケーブルカーで高野山駅まで登り、そこから高野山エリアを徒歩で歩きました。

女人堂、檀上伽藍、金剛峯寺、金剛三昧堂、苅萱堂、英霊殿、弘法大師御廟、奥之院とすべてまわると、約10kmになります。

その日は平日の雨の日にもかかわらず、たくさんの人が傘をさして詣でていました。

もちろん檀上伽藍や奥之院も素晴らしかったですが、圧巻だったのは一の橋から御廟までの約2kmの参道です。

その両脇には20万基を超える供養塔や慰霊碑が、樹齢約700年の杉木立の中に静かに祀られています。

戦国から江戸時代にわたる主だった武将の供養塔が建ち並び、まるで400年前の時代にタイムスリップしたようでした。

その静寂で荘厳な世界は、日頃の喧騒な世界から解放されて、心が洗われるような気持になりました。

宿泊したのは「福智院」という宿坊で、夕食は精進料理をいただき、朝は早起きして読経と法話へも参加しました。

普段は信心深い方ではないですが、この時ばかりは信心深くなったような気がしました。

一番困ったのは、建物内が全面禁煙になっていたので、翌日にその建物を出るまで煙草を吸えなかったことです。

《高野山町石道》

二日目は高野山から九度山を目指して、一気に26kmを降ります。

宿坊・福寿院から高野山への結界のシンボルである「大門」を過ぎると、そこからは本格的なトレッキングコースになります。

前日の高野山は雨が降り続いていたので、雨上がりの朝には霧が発生し、高野山エリアの幻想的な景色が見られました。

しかし、途中の山道はぬかるみ、滑りやすく、非常にタフなトレッキングになりました。

行きかう人はごくわづかでしたが、ほぼ山を降りた所にある丹生官省神社や慈尊院までたどり着くと、大勢の人で賑わっていました。

コース自体は町石の目印もあり迷う恐れもなく、それほど勾配もきつくはありません。

距離は長いですが、晴れていれば比較的楽に歩けると思います。

杉木立が多く眺望できる所も何か所かあり、晴れた日に歩くと快適に歩けるコースだと思います。

《最後に!》

熊野三山(本宮・那智・速玉大社)と吉野山はすでに行きましたので、今度の高野山で熊野古道の主たる聖地詣では終了になります。

次回は、吉野から熊野古道・大峯奥駈道のトレッキングを計画したいと思います。

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